日本代表が負けると、必ずと言っていいほどメディアに登場するのがセルジオ越後という「ご意見番」とか呼ばれているオッサン。まあこの人が今回何を言ったかなんて詳しくは知らないですけど、このオッサンの発言の根底には母国?ブラジルへの限りない愛国心が満ちあふれているのを誰もが感じていますよね。つまりこのオッサンが持っている日本に対しての愛情なんてブラジルに対するものに比べたら「無い」に等しいレベルだから、日本人サッカーファンの神経を逆なでするような「侮辱的」発言を平気で繰り返しているわけです。
例えば日本人のサッカーファンが、お隣の韓国が負けた試合を評したコメントなどをみてると、それこそ「ちゃんとサッカーやれ!」とか「格闘技はやめろ!」とか韓国人が見たら「逆上」しそうなことを好き勝手言ってますよね。セルジオ氏のコメントなんてまさにこれと同レベルなんじゃないの?と感じるのですが、ビックリすることに「セルジオ氏が正しい!」と真顔で言ってる日本人(?)が結構いるみたいなんです。日本代表が負けて、それをダシにセルジオ氏は日本をバカにしたいだけで「遊び半分」にコメントを発しているのに・・・それを受け取って「同意!」なんてどういう神経してるんだろう。日本のサッカー好きが韓国サッカーをバカにしつつ発した言葉に「同意!」とか言ってる韓国人がいたらただただ驚くと思うのですが・・・。
突然サッカーからクルマに話が変わって恐縮ですが、とある評論家が日本車を完全にバカにした口調で批評しているのを見かけたら、その時は「同意!」というべきでしょうか。それとも「激しく反発」だか「憤り」を感じるべきでしょうか。 「そのクルマの車種による」なんて悠長な意見もあるかもしれませんが、「トヨタや日産にはとても無理」みたいなこと言われたらこれはもはや「批評」ではなくて「偏見」じゃないか?って気になります。これまで世界中の自動車メーカーに技術を提供し、フェラーリ、マセラティ、BMW、アウディといった名だたるブランドでデザイナーとして活躍する人材を輩出してきた日本の自動車産業が生み出しクルマが「ダメ」だったら、他のどの国のクルマはそれ以下の「ダメダメ」だらけなんだろうな!ってことになりませんか?
自動車評論の世界では、まるで日本国籍を捨てているのか?と思われるような激しい口調で日本車を完全否定する"セルジオ越後"みたいな人がたくさん居るんですよね。特定の車種というわけでなく、「日本メーカーが作っているだけで論外」くらいのニュアンスの人すらいます。まあプロのお仕事なんで私ごときが口出しするのも筋違いではあるんですが、ノートやカローラが罵倒され、プジョー208やフィアットパンダが絶賛されている「間違いだらけのクルマ選び」などを読むとやはり「違和感」を通り越して「憤り」を感じてしまいます。こういう本や評論を読んで増長した素人は、「日本人には高級車は作れない!」とか「日本車がデザインで輸入車を超えるのは無理!」とか平気で言い出すわけです・・・。
アウディのイメージを確立したあの「A6」も、マセラティ史上最高のデザインと言われる「クワトロポルテ」も、BMWが誇る名車あの「5シリーズ(E39)」も全て日本人がデザインしているというのに。そんなことを知ってか知らずか・・・それにしてもなんと「自虐的」なアイデンティティなんだろう!と思います。あくまで一般論ですが英国の評論家もイタリアの評論家も自国の自動車産業には最大限の敬意を払っているのがよくわかります。彼らは「最悪の性能のクルマ」の例にはフランス車を挙げますし、「最悪のデザインのクルマ」の例にはドイツ車を挙げるのが一般的です。アメリカ人のライターもまた同様で「最高に退屈なセダン」の例を挙げる時には大抵は「トヨタ・カムリ」を使いやがります!!!例え性能面でカムリに適わないと分っていてもシボレー・マリブやフォード・フュージョンを挙げることはほぼありません。
余計なお世話かもしれませんが、そんなに輸入車が好きならば、日本のジャーナリストもこれからはこうした「国際ルール」に倣って、カッコ良く評論をしたらどうかと思います。とりあえず多くの同意が得られるであろう例として、「デザインが最低のクルマ」にはE90の3シリーズを、「最も退屈なクルマ」にはメルセデスの現行Aクラスを強くオススメしたいですが・・・(オーナーさんごめんなさい!)。彼らの脳内では「3シリーズとAクラスはもはや日本車」だからディスられるとマジでムカつく!とかいう展開になっちゃうのかもしれませんが・・・。
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